huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

遊びを充実させることが一番の学び

 

古山です。

 昨年9月に「おるたネット」が主宰した、汐見稔幸講演会での、汐見氏の発言
からです。汐見氏は、白梅学園大学学長、東京大学名誉教授。


 幼児教育で先行していることなんですが、幼児教育では、しばらく前から遊び
を中心に据えるという方針に変えています。

 どれだけ遊びを面白くするか、どう遊びを発展させるか、遊びを充実させられ
るかどうかが一番の学びなんですって言われています。

 なぜかと言えば、人間は、主体的に遊びを考える中で最も頭を使う。遊びの中
で工夫し、充実感を味わい、失敗すると「ちきしょう」と思ってまたチャレンジ
していく。

 遊びの中で子どもたち同士が関わって、時にはけんかもしたりするけれど、他
人の想像力と自分の想像力を合体させたら、面白いことができるわけだよね。そ
ういう、一人でやるよりも、二人、三人でやったときのほうが面白くなるってい
うことを学ぶのも遊びなんです。

 


私も、この教育論がもっとも根本的なものだと思っています。幼児教育だけでは
ない、もっと年齢が上がっても、同じです。遊び心を主柱にした教育が、もっと
人間性に深く根ざした教育だと思います。


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古山明男

いくつかの短い詩

 

タゴールの詩集を読んでいて、はっとした短い詩を三つほど。


星は蛍のように見えることを怖れはしない。


神は大帝国には倦むがささやかな花には倦まない。


すべての嬰児は、神がまだ人間に絶望してはいないというメッセージをたずさえ
て生まれてくる。


タゴール詩集 山室静訳 弥生書房)

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古山明男

取り繕い方を教えるのではなく

 

ある、公立学校の先生も、シュタイナー学校の先生もしたことがある人が言って
いました。
「何教育ということに関係なく大事なことがある。それは、子どもが取り繕わな
くて済むことだ」


私自身、外面的には優等生でした。
しかし、学生運動の嵐が吹きすさぶ大学に入って、個人的にも困難な状況、に出
会ったら、自分の中は子鬼やら悪魔やらの魑魅魍魎がたくさんいるだけでした。
不安、恐怖、虚栄、怨恨、.....

「ほんとうに教育されなければならないのは、この部分なのだ」
とつくづく思いました。人の幸せや能力に直結しているのは、この部分なのだと。

そうなってしまうのは、本当は脅しと競争で成り立っているのに、取り繕うやり
かたばかり教えている教育にある、と思いました。


この世の中は善でできている。ほんとうに親切は人はいる。
この世の中に美しいものがある。
探求には価値がある。

そういうことを実感できて育ったときに、ほんとうに社会の荒波の中でも生きて
いける子どもが育つ。
それが教育なのだ、と思うようになりました。

古山

こどものファンタジー

 

最近、子どものときの心情に、ふうっと返っていることがよくあります。

きょうは、ふうっと、空想の世界に入り込みたくなる気持ちが湧いてきました。
空想の世界といっても、なんでもいいというわけではないのです。あの、親の膝
の中にスポンと潜り込んでいくように、気持ちよく入り込んでいく世界です。
そこには、真・善・美、そして驚異が流れているのです。


たとえば、小学生のときよく入り込んでいたものの一つが、自分のための理想の
船を考えだし、絵に描くことでした。その船の中には、いろんな船室があって、
すべてがそろっているのでした。その船で、いろんな海や川を冒険して行くので
す。
そのほか、たくさんの空想世界やストーリーを考えていますが、それは自分で考
えているようでもあり、自然に湧いてくるようでもあります。

その後の自分が生きてきた後をたどると、一生ずっと、この空想の世界と接触し、
それを形にして描き出すということが、天職であったように思います。子どもの
ころやっていたことが、自分の人生の予行演習でした。

なによりも、空想の世界の中で何が美しいかワクワクするかの直感力を磨き上げ、
それを絵やストーリーに具体化するということが、子どものときの大事な能力開
発であったと思います。


小学生くらいまでの子どもが、さかんに空想の世界に入り込み、それを絵に描い
たり、お話にしたり、工作の作品を作ったりします。これが、ものすごく重要な
のです。特に、繰り返し現れるテーマは、重要です。

たいていは、その子の人生の青写真作りになっていたり、人生の予行演習になっ
ているのです。


私の場合、学校には、このファンタジーのもたらす、美しい、楽しい、わくわく
するものがありませんでした。やらなければならないことが延々とあるだけの砂
漠でした。家に帰ったら、学校のことはすべて精神からシャットアウトして、空
想の世界に入っていました。だから、勉強はしない。宿題は、その日の朝になっ
てやっつける。学校に行く気分になってからなら、宿題と付き合うのもさほど腹
が立たない。

そして、この世界に入り込むことが、生きることでした。
決して空想の中に閉じこもったのではなく、いろんな事物をストーリーに見立て
て遊ぶことでした。結果的に、事物の性質にも触れますので、知識や技能もたく
さん取得しました。
学校の授業は、もうわかりきっていることを、復習するようなものでした。


学校でよく「自分の将来の夢を書きなさい」と課題が出されます。でも、課題と
して出され、評価がされる状況で、子どもの人生に深く関わるファンタジーが出
てくることは、まず期待できません。「先生になりたい」とか「保母さんになり
たいとか」のほとんどは、その時々の世の中の流行や、大人たちの意見を反映し
ているものです。

子どものファンタジーは、そうっと、そうっと扱ってやらなければいけないので
す。
もし、子どもがストーリーや絵を持ってきたら、一番いいのは、それを自分の心
の深くに沈み込ませることです。論評しないことです。もし感動したなら、素直
に感動を伝えればいいけれど、褒めたり継続させようしたりしないことです。

ああ、そうかい。そういう世界に生きているのかい。ああ、そうかい。うん。、

 


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古山明男

イギリスのホームスクールガイドライン

 

おもしろいものがありました。

イギリス政府が、地方政府に対して出している、ホームスクール家庭のためのガ
イドラインです。

「親に求められていない」こととして、次のような項目が挙げられています。

これをしろではないのです。不要、もしくは有害とされている、ということです。
味わいがあります。


・ナショナル・カリキュラムを教える

・幅広く、バランスのとれた教育を提供する

・時間割を持つ

・特定の標準に基づく施設を持つ

・教育が行われる時間を設定する

・保護者の特定の資格

・事前に詳細な計画を立てる

・学校の開校時期に従う

・正式な授業を行う

・子どもが作った作品を評価する

・発達状況を正式に評価する、あるいは発達目標を設定する

・学校での仲間グループによる社会化を複製する。

・学校の年齢ごとの基準に合わせる。


https://www.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/288135/guidelines_for_las_on_elective_home_educationsecondrevisev2_0.pdf

もし親に求められれば、こういうことをアドバイスし、支援してもいいけどね、
という但し書きはついていますけれど。

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古山明男

木登り



古山です。

さまざまな遊びの中にも、定番と言えるようなものがあります。

その一つが木登り。

先日の東京でのお遊び会でも、昨日の科学遊びの会でも、木登りがはやりました。

木登りは、すごい全身運動です。どうやって登るかの戦略と判断力、バランス感
覚、筋力、動きを組み合わせる巧緻さ、みんな必要です。
型にはまった能力ではなく、その木ごとの形状、性質を見抜かなければなりませ
ん。だから、おもしろいのです。

木登りには、高い倫理性があります。木に登る目的? そこに木があるからだ。
人間が高みに登ろうとすることに、理由などつけられるものか。
そして、上に登ったときの、視野の広がり。たまらないですね。

木に登るときは、いつも危険と隣り合わせになります。「怖い」という思いと自
分の中でどう付き合うか。その子なりの答えを出す必要が生じるのです。
この「怖さとつきあえる」ということ、生きていく上で、ものすごく重要なので
す。怖さを無視しない、なおかつ怖さに圧倒されない、その両方の中でバランス
を取ること。これはとても大事な、生きることの知恵です。

木登りそのものが、生きることの予行演習になっているのです。

教育とは、「木登りして落ちても叱られない」という場を作り出すことだと思い
ます。

 

木登りしやすい木は、シイの木です。シイの木は低いところから枝分かれがあっ
て、登りやすいのです。公園にあるシイの木は、スダジイマテバシイです。ど
ちらもドングリがなります。

千葉公園にシイの木がたくさんあります。あらかじめ調べて難易度のA,B,C
みたいなのをつけた地図を用意し、木登り会みたいなのをやろうかなと思います。

あと、木登り名人の大人がいるといいのですが。
難しい木に、見事に手をかけ、足をかけ、スルスルッと登っていく人がいる。そ
れを見ているだけで、大事なことが伝わるのです。

 


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古山明男

普通教育機会確保法第3条(三)

 


古山です

法律の解説の続きです。


(理念)第3条

三 不登校児童生徒が安心して教育を十分に受けられるよう、学校における環境
の整備が図られるようにすること。

これは、不登校児童生徒を学校に来させるように、ではありません。
学校に来るならば、もう不登校ではありません。

この条文は、不登校の子どもは不登校のまま、学校が支援せよ、という意味です。
具体的には、ネットなどによる通信教育、訪問型支援、学校の施設・備品の利用
などに、人員と予算をつけられるようにしようというものです。

不登校児童生徒が安心して教育を十分に受けられるよう」の教育は、学校の教
育とは言っていないところが大事です。

子どもがフリースクールに通っている場合は、その教育を安心して十分に受けら
れるように、学校の態勢を整えろ、という意味にまで解釈することができます。


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古山明男