huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

学校信仰は終わる


古山です。

学校には、いいところも、悪いところもあります。

しかし、これは学校が絶対に間違っていると思うことがあります。
学校が信仰の対象になっていて、学校なしでは人生が成り立たないように信じら
れていることです。
「来ないと人間がダメになる」
「将来食っていけないぞ」
とかいう脅しが蔓延しているのです。

全員がとは言いませんが、学校に行っているほうも、行かなくなっとときの恐ろ
しさで行っている。
授業がわからなくても、いじめられても、行き続けてる。


そんな教育機関がほかにありますか?
幼稚園が「うちに来ないと、人間がダメになります」
なんていいますか。
塾が、「うちにこないと落ちこぼれる」っていいますか?
大学が「うちに来れないヤツは、社会の落伍者だ」といいますか?

そんなことを言ったら、総スカンを食います。

学校に来ない子がいると、他の生徒たちが口をそろえたように言います。
「ずるい」

学校がほんとうにいいところだったら、そんなことを言いますか。学校が本当に
いいところだったら、「もったいない」と言うはずでしょう。ほんとうは、みん
な休みたいんです。

元は、制度構成が悪い。
学校就学を強制して、罰金までもうけた。内容がどんなに悪くても、それは不問
に付されるか、「善処いたします」で済まされる。
先生たちは公務員だから、「来なくていい」とは口が裂けても言えない。「個人
的には~だと思うのですが、...」と口を濁します。

でも先生たちは教育者だから、「法律だから」とは言えない。なんだかんだと教
育的理由をつけます。それが「学校に来ないと~になる」のオンパレードです。
データもない、実証性もない、脅しです。

公立学校は、どんな子でも来させなければならないから、脅しに訴えるしかなく
なっているんです。

そういう学校に、親の世代も、祖父母の世代もみんな行っているから、みんな学
校に行かないときの恐怖を植え付けられる。


カルトに特有の考え方があります。
落伍者、脱退者をものすごく避難するのです。
学校も脱落者を非難します。学校はカルトの一種に成り下がっているのではない
ですか。

そうじゃない、脱落者にいかに手を伸ばせるかが、教育というものでしょう。


学校に行く行かないは、恐怖からではなく、ちゃんと教育的見地から考えましょ
う。本人の意思も大事、親の意思も大事。

「学校に行かせないと」と心配してあれこれ言う、親戚、知人、ご近所は、刷り
込まれた恐怖にかられているだけです。

国際人権条約は、保護者が公立学校以外の教育機関を選ぶ自由を保障しています。


公立学校は選択肢の一つです。いろんな教育があり得ます。
成熟した社会では、それが当たり前になると思います。

今年2月に施行された「教育機会確保法」はうまく使えば、学校以外の教育を保
護することができます。

 

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古山明男