huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

世界は善である 世界は美しい

古山です。

久しぶりに、シュタイナーの「一般人間学」を読んでいました。シュタイナー教
育の基盤になっている人間観を、シュタイナーが連続講演の形で述べたものです。

若いときよりも、「ああ、子どものあれのことを言っているのか」というのが具
体的に浮かびます。

シュタイナーの表現はわかりにくいです。以下、大事なところを抜き出しますが、
すべて、私なりのわかりやすい言葉に要約したものです。

「人間は、誕生前にも死後にも、連続した生命を持っている。霊界での進歩に限
界がくると、生まれてくる。この物質的現実の中で肉体をまとってしか学べない
ことがあるためである」

「幼児期は、まだ霊界にいたときの気分を残していて、人間と世界に絶対的な信
頼を持っている。世界は模倣するに足るものである、という確信があって、幼児
は模倣する。この時期に注入的な教育をしてはならない」

「幼児は模倣によって学ぶ。幼児期によく模倣できた人間は、生きることに自信
を持つ」

「世界は善であるということを守り育てることが、とても大事である。これは、
説得ではなく、子どもの深いところにしみこんでいかなければならない」

「子どもの時に祈りの気分を知っている人間が、老年になったとき人を祝福でき
るようになる」

「小学生くらいの時期の子どもは、『世界は美しい』という無意識の前提の下に
いる。」

「歯の生え替わりから思春期までの子どもは、絶えず、現在そこにある世界に生
き、その世界に生きようとする。それは、味わい、楽しむことである」

「この時期の子どもは、信頼できる人、従うことのできる人を求めていることを
忘れてはならない」

「子どもが未来に向かっての衝動で生きるようになるのは、性的に成熟する14、
5歳以降である」

「真理を内側から把握することが可能になるのは、性的に成熟してからである。
それまでは、学問的な体系は、持ち込まないほうがよい」

 

世界は善である、世界は美しい、と感じることのできた人間が、よく学ぶことが
できます。集団的訓練によってではありません。

現在の普通に行われている教育は、いささかの知識や技能を身につけさせるため
に、賞罰、競争、集団同調圧力など、「善」とは言えないことをたくさんしてい
ます。それが、子どもの無気力、無関心を生み出していると思います。

 


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古山明男

評定からの自由

古山です。

私の塾の部屋に、絵が飾ってあります。来た人が、「いい絵ですね。誰の絵です
か」と尋ねてくれると、「ふふふ」と言って、私が自分を指さします。ちょっと
得意になれますね。嬉しいですね。

「これなら、絵本にしたらいいのに」
よく、そう言われます。まんざらお世辞でもなさそうです。
たしかに、この程度描けるなら、絵本画家にもイラストレーターにもなれたろう
に、と思うのです。

ところが、だめだったんです。
その気になったことはあるのですが、だめでした。本気でやろうとしたら、もう
絵のレベルが落ちてしまって、どうにもならなかった。

飾ってある絵は、知人の子どもたちのために描いたものでした。私がちょっと描
くと、その子たちがものすごく喜んでくれるのです。それで、私はノッてしまっ
て、工夫しまくり、技法を研究し、短期間にすごく腕を上げました。

そうしたら、大人が目をつけます。
「古山さん、本気でやったら」
私も、やってみようと思いました。すると、結果が気になり出します。描いてい
るものが出版されて人気になって賞を取って、なんてのを、空想します。「そう
なるはずないこと、わかってるけどさ」、なんて言い訳しながらね。

売れるほどのものを目指すと、うまく描こうとします。それが、描きたい意欲を
追い越します。もう大人なので、眼だけは肥えています。自分の描いているもの
が、これじゃだめだ、というのはよくわかる。でも、問題点を指摘はできるけれ
ど、どうしたらいいかの感覚は湧いてこない。
だんだん、描くのが進まなくなり、いつのまにか、投げ出しました。


これが、評定されるということだと思います。自分で自分を評定してしまった。
それで、自分の中の子どもがすくみあがってしまった。

あの頃はまだ、自分を愛することを知らなかった。


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古山明男

遊び 評定からの自由

古山です。

子どもは遊びで育ちます。子どもたちが遊びの中で見せるあのエネルギー、創意
工夫。すごいですね。これこそが一人一人の生きる力であり、また、社会がもっ
とも必要としているものだと思います。

では、遊びとはなんでしょうか。
いろいろな面から捉えることができます。でも、もっとも大きな要素は、結果を
云々されないことです。

われわれでも、「遊びでやっている」ことは、収入とも関係ない、地位・評判と
も関係ない、やりたいからやっているだけのことを言います。

結果を心配せずに、思いっきりなんでもやってみることができる。それが、子ど
も時代です。

評定されない、結果を問われない、自由に試行錯誤できる、それが遊びです。子
ども時代は、好奇心と遊び心の時代なのです。

遊びのこの性質を知れば、賞罰がいかに破壊的か、理解できます。

教育するというのは、評定から自由である場を作ってあげることです。
子どもは、評定されそうになると、逃げていきます。それが当たり前なのです。

評定の中に組み込まれた子どもは、創造力を失い、劣等感や優越感にとらわれる
ようになります。

もちろん、子どもたちはやがて、結果に責任を持たなければならなくなります。
そういう教育も必要なことでしょう。でも、結果を問う教育は、15,6歳くらい
からだろうと思います。そのくらいから、身体も心も大人になっています。


スウェーデンデンマークなどは、13歳までの試験を禁止しているそうです。


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古山明男

誰が教育を選択するのか

古山です。

ホームスクールを真剣に考えているが、という相談をいくつも受けてきました。

そのうち、実際にホームスクールを始めるご家庭は多くないです。

最大の理由は、子ども、母、父の三者の意見が揃うということが、なかなかない
ためです。

では、誰の意見を優先させたらいいのでしょうか。

私は、不登校の子供たちに接していたため、学校に行く行かないが実際にどのよ
うに決まっているか、たくさんのケースを見ることができました。

・9~10歳くらいまでは、基本的に親の意思で決まる。ただし、子は拒否権を持
っている。

・小学校高学年から中学校くらいまで、親の一存でも、子の一存でも決まらない
時期がある。

・高校くらいからは、子の意思で決まる。子は、友達、親、教師など見て判断し
ている。しかし決定主体はもう子に移っている。


特に、9~10歳くらいまでの場合ですが、親が子どもの教育を選んでかまわな
いと思います。もちろん、子どもがそれについてこないときは尊重すべきですが。

いま、学校に行っている子どもたちは、親が学校を選んでいるから学校が良いと
思って行くのです。そして、ついていけないときに、尊重されていないのです。

親が子どもの教育を選ぶことは、幼稚園の場合を考えるとわかりやすいです。
子どもはまだ、世の中にどのような教育方針が存在するかを知りません。幼稚園
には、学校先取り系、のびのび系、宗教系、あるいは家庭で育てるなど、いろい
ろあります。でも、世の中にどんなものがあるかは、子どもにはまだわかりませ
ん。基本方針は、親が判断して選ぶべきものです。

と言いますのは、9~10歳くらいまで、子どもにとって、親の言うことがすべ
て正しく感じられるのです。子どもは、親の作る見えない傘の下にいることが幸
せなのです。

この年齢は、それが何教育であるか以上に、子どもが親の作る傘の下にいること
のほうが重要です。そこで安心できると、子どもはすごい力を出してきます。い
ちばん可哀想な子どもたちは、親に見捨てられた子どもたちです。

 


古山明男

てらこやちば

千葉にある大学の学生さんたちが、小学生~高校生の子どもたちとの遊び場を作
る「てらこやちば」を運営しています。
http://terakoyachiba.web.fc2.com/about.html

先日行って見学させてもらったのですが、子どもたちを集めてしっかり遊んでい
ます。
現在第1、第3土曜日の午前10時から、に千葉市中央区の街中のビルの一室で
「てらこやハウス」をやっています。元気なお兄さん、お姉さんたちが、いろん
な遊びを提供しています。

12月には「逃走なう」とかいう、大学キャンパスを使った、鬼ごっこのようなも
のをやるそうです。


同様の組織が全国にあって「全国てらこやネットワーク」を作っています。
http://terakoya-network.com/teramap/

もしお近くにあったら、接触をとってみたらいかがでしょうか。


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古山明男

あなたが他人を気遣うとき

古山です。

私は、自分が感じたこと、自分が理解したことだけを語るようにしています。
権威者の言葉を語って自分のみすぼらしさを隠すのは、醜いからです。

一人一人の人が、自分の理解と愛情に基づいて生きるときにだけ、新しい世界が
始まります。私はそれを、自分から始めたい。

でも、これから少し、J. クリシュナムルティの言っていることを引用し、説明
させてください。この人は、言葉を超えたものを言葉で伝えるのがうまいのです。

教育について深いことを言うのは、シュタイナーとクリシュナムルティが双璧だ
と思います。どちらも、自分の学校を作っている人です。人間と宇宙の深みにつ
いてシュタイナーは必要な概念を作り、それを構成して伝えていきます。クリシ
ュナムルティは、永遠性の叡智の流れからくみ取っています。

クリシュナムルティの「アートとしての教育」(コスモス・ライブラリー)から

「あなたが他人を気遣うときには、いかなる暴力性も消え去ります」(p164)

クリシュナムルティの文章は、なにか結論があってそれを伝えようと構成してい
くのではなくて、ただサラサラと流れていきます。だから、クリシュナムルティ
を読んだとき、「この人はここでこういうことを言いたいのだ」という結論が残
りません。余韻だけが残るのです。その点では、クリシュナムルティの文章は、
詩と同じです。

それが、クリシュナムルティの気遣いなのです。他人のなかに、硬い結論を生じ
させないように、理解のきらめきが生まれるように気遣っています。

そのサラサラ流れる語り口の中に、ハッとするようなことがたくさんあります。

「あなたが他人を気遣うときには、いかなる暴力性も消え去ります」

もその一つです。
ハッとします。たしかに、そんな気がします。
われわれは、暴力から解放されることが可能なのか。

その続きは、こうです。
「(他人を気遣うとき)怒りも敵意もプライドも消失します。気遣いはまた、注
意を払うことでもあります。注意を払うということは、見守り、耳を傾け、学ぶ
ことです」

クリシュナムルティの哲学、教育論は、人間がマニュアルに従うロボットになっ
てしまわないこと、いつも気づきと感受性で生きることに向けられています。そ
れが愛なのです。

子どもは、親が言うことからたくさんのことを吸収しています。ところが、親が
子どもに教え込もうとすると、さっぱり言うことを聞かなくなります。それは、
子どもたちが不純な動機をかぎ取るからです。子どもたちは、親とは、少なくと
も親とだけは、愛情と気遣いの関係でいたいからです。自分がロボットにされそ
うなことに、敏感です。

人間が他の人間に教え込もうとすることって、みんな、うさん臭さが伴っていま
せんか? もちろん、非常に実用的なことは除きますが。

獲得しなければならない知識や技能のハードルがたくさん並べられ、できたかど
うかテストし、評定する教育。
これが暴力のはじまりです。
このような教育を受けていると、自分に対しても他人に対しても、だんだんと、
できたかできないかだけが気になり、その裏にある生命の営みが見えなくなるの
です。

クリシュナムルティの問いかけから引用します。

「もし愛情が存在するのであれば、あなたの行為もその純粋さから導き出される
ことになります」

私たちは、何かをできるようにさせるだけの教育を受けてきました。そのため、
多くの恐怖や不安を抱えて生きています。
もし、私たちに愛情が存在するのであれば、この恐怖や不安を愛することから始
めることができます。すると、子どもたちがどれほど怖い思いをしているかが共
感できるようになってきます。

やり方が先にあるのではなくて、この共感から、やり方が生まれてきます。


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古山明男

英語の読み聞かせ

このLibrary Lion というお話、ストーリーはおもしろい、読みはめちゃくちゃ
うまい。絵の見せ方もじょうず。

>英語の読み聞かせ。
>Library Lionです。
>https://www.youtube.com/watch?v=T18NCobS43c
>youtubeにもありました。

ひょっとすると、英語がまったくわからない子でも、ついていくかもしれないで
すね。

中学校での英語の落ちこぼし率は、たいへんなものです。あの教え方ではだめで
す。
特に、試験をしてはいけないと思います。子どもたちは、英語をできるようにな
りたいですよ。でも試験されると、気持ちも舌も、すくんでしまいます。

子どもが日本語を読めるようになるのは、たいていは親が絵本を読み聞かせ、子
どもが拾い読みをし、そのうちにいろんな本やマンガに手を出して、読めるよう
になっていくのではないでしょうか。

それと同じように英語に入っていけたら、一番いいのに、と思います。
遊びでないと、やれるはずがないと思います。

でも、英語だと、親が読んであげるのにも限界があります。
ところが、YouTube にあると、音声もある、絵もあるで、有り難いです。

でも、もっと簡単な英語の読み聞かせ用の絵本がほしい。それが、先日お渡しし
た「カラスとキツネ」「カエルの王子さま」などのシリーズでした。
クリック一発で、聞きたいところが聞けるようにしました。

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古山明男