huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

おいしさ、おもしろさ

 

古山です。

私は20代のころ、断食に興味を持って、よくやっていました。最初の2,3日が
過ぎると、実に気持ちがいい。何も食べないでいると、身体がすっきりするし、
頭も明晰になります。食べ物を消化すること自体が、身体に負担になっているの
ですね。

生きるエネルギーを探し求めているときでした。「これだ!」と思いました。

ところがです。それで健康になれたかというと、そうではありませんでした。
食べないでいるときは気持ちがいいのだけれど、そのあと、どうもムチャ食いし
てしまう。それが、止めようもない。

子どものときだと、甘いものを食べ過ぎると頭が痛くなりました。ところが、そ
の断食行のあとは、いくら甘い物を食べても平気になってしまいました。食欲に
まかせていると、腹は出るし、コレステロールの数値に如実に反映します。罪悪
感を感じながら、お菓子食いをやめられない。それで、一生懸命に「身体に良い
もの」を実践する。そうすると、ときどきお菓子のバカ食いをする。

何がおいしいか、何を食べたいかの本能的な部分が、壊れてしまったのだと思い
ます。

いろいろな「何を食べると身体に何かいいか」を、現代科学的なものから、異端
派のものまでいろいろ試してみました。いろいろな食べ物理論は、それぞれ意味
を持っていると思いました。しかし、「これが身体によいのだ」と『頭で食べ
る』ことをやっているかぎり、いいことがあっても長続きしないし、なにかしら
反動や欠陥が出るものなのだ、ということも学びました。


同じようなことが、学びとおもしろさの関係にあると思います。
多くの大人は、健康な「おもしろい」の感覚が損なわれています。「~せねば」
に頼らないと生きていけない状態になっています。

明らかに、教育のやり方のせいです。「~せねば」を強調しすぎた教育をしたの
です。

子どもの「おもしろい」の感覚は健全です。それを中心にして、育ててあげれば
いい。それが、一番楽だし、効率もいいです。
個人差は非常にありまして、6,7歳でも「この子に教えるのは失礼にあたる」
というような子もいますし、ツバメの雛がピーピーと口を開けて待っているよう
に教えてほしい子もいます。

何をどう教えなければならないかの、絶対的な基準はありません。生活している
のだから、生活に学ぶのが一番いいです。
文科省の指導要領は、「大人になったときにこれが必要だから小さいときから教
える」から発していて、子どもの発達の研究が浅いです。

子どもが、生き生きとした感じを漂わせているかどうかが、目をつけていなけれ
ばいけないところでして、「何しているか」は、さほど重要ではありません。
教えなくてもいいけど、教える場合は、「ご褒美で釣ったり、罰に訴えたりしな
い範囲で」ということだと思います。

これは、子どもに教育をするときの大切なモラルだと思います。大人の社会は、
ご褒美で釣り、罰に訴えて成り立っています。だからこそ、子どものときは、賞
罰に訴えない教育が必要なのです。賞罰に訴えないという節度がないと、健全な
「おもしろい」感覚が損なわれます。


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古山明男

 

最近のこと

 

古山です。

火曜日の有栖川宮公園で、小さな子どもたちを引率したグループとよく出会いま
した。この中に、子どもと遊んでいるときの、間合いの取り方、身のこなしの上
手おな兄さんがいるから、話を聞いたら大学4年生でした。昔から、このグルー
プのお手伝いをしているとのこと。
こういうような人が、子どもの遊びグループにいてくれるといいだよね。
ほんとに何かが伝わっていきます。

幼児には、優しいことが正義なんだ。
小学生くらいの子には、おもしろいことが正義なんだ。


昨日の千葉市でやったホームスクールの対談イベント、20人以上の人が集まって
くれました。
私はレジュメを用意しないで行きました。こういうとき「これとこれをしゃべろ
う」と構想を立て、スライドを用意していくと、一方通行の授業みたいになって
しまう。おおまかなことは考えるけど、あとは成り行き任せ、吉度さんといっし
ょに、ずいぶんとおもしろいことをしゃべれました。アロマスプーンのことも宣
伝しておきました。

こういうイベントである程度数が集まると、「それが当たり前である世界」がで
きます。来てくださった方たち、ありがとうございました。

 

2月の末に、「教育機会確保法」の基本指針作りのパブリックコメント募集に応
募するのに、数日を費やしていました。

教育の分野は、憲法、国際条約、教育基本法までは、スジがいい。
でも「学校教育法」というのが、「とにかく学校にこないとダメ」の法律です。
日本が昔ながらの教育の殻から出られなくなってしまった、元凶です。

「教育機会確保法」は、この「学校教育法」に、ヒビくらいは入れています。
対象を「不登校児童生徒」に絞っている。それを解釈や運営で広げられる余地が
あるか、その研究でした。

今回は、「民間の意見を反映させる」というのが、法律の条文にも入っているか
ら、ある程度は言う甲斐のあるパブコメでした。

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古山明男

 

教育って

 

古山です。

覚え込ませようとしない。

達成させようとしない。

よいこと、素晴らしいことを子どもと分かち合う。

困ったこと、悲しいことをいっしょにくぐり抜ける。

そうすると、子どもも変わる、大人も変わる。

教育って、そういうことなんだと思います。


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古山明男

不登校とホームスクール


古山です。

おもしろい記事がありました。紹介します。

不登校とホームスクール」
http://www.es-inc.jp/library/mailnews/2016/libnews_id008690.html


(一部を抜粋します)

目的は「子どもを学校に行かせること」ではなく、「子どもによい教育を受けさ
せ、次の社会を創り出し、支えられる人を育てること」ではないのでしょうか?

 AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)などによって、働き方や人間
の役割・有用性が激変する時代になっているにもかかわらず、とにかく「学校教
育とは全員がそろって受けるものだ」「とにかく学校に行かなくてはならない」
という、前世紀のメンタルモデル(思い込み)に縛られていては、個々人の幸せも、
社会としてのレジリエンス(しなやかな強さ)もおぼつかないでしょう。

決まった就業時間に全員がそろって仕事をするのではなく、もっとしなやかでも
っと多様な働き方が必要だし、そのほうが効率的・効果的だと「働き方改革」が
進んでいるように、もっとしなやかでもっと多様な学び方が必要ではないでしょ
うか。

 

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古山明男

遊びを充実させることが一番の学び

 

古山です。

 昨年9月に「おるたネット」が主宰した、汐見稔幸講演会での、汐見氏の発言
からです。汐見氏は、白梅学園大学学長、東京大学名誉教授。


 幼児教育で先行していることなんですが、幼児教育では、しばらく前から遊び
を中心に据えるという方針に変えています。

 どれだけ遊びを面白くするか、どう遊びを発展させるか、遊びを充実させられ
るかどうかが一番の学びなんですって言われています。

 なぜかと言えば、人間は、主体的に遊びを考える中で最も頭を使う。遊びの中
で工夫し、充実感を味わい、失敗すると「ちきしょう」と思ってまたチャレンジ
していく。

 遊びの中で子どもたち同士が関わって、時にはけんかもしたりするけれど、他
人の想像力と自分の想像力を合体させたら、面白いことができるわけだよね。そ
ういう、一人でやるよりも、二人、三人でやったときのほうが面白くなるってい
うことを学ぶのも遊びなんです。

 


私も、この教育論がもっとも根本的なものだと思っています。幼児教育だけでは
ない、もっと年齢が上がっても、同じです。遊び心を主柱にした教育が、もっと
人間性に深く根ざした教育だと思います。


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古山明男

いくつかの短い詩

 

タゴールの詩集を読んでいて、はっとした短い詩を三つほど。


星は蛍のように見えることを怖れはしない。


神は大帝国には倦むがささやかな花には倦まない。


すべての嬰児は、神がまだ人間に絶望してはいないというメッセージをたずさえ
て生まれてくる。


タゴール詩集 山室静訳 弥生書房)

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古山明男

取り繕い方を教えるのではなく

 

ある、公立学校の先生も、シュタイナー学校の先生もしたことがある人が言って
いました。
「何教育ということに関係なく大事なことがある。それは、子どもが取り繕わな
くて済むことだ」


私自身、外面的には優等生でした。
しかし、学生運動の嵐が吹きすさぶ大学に入って、個人的にも困難な状況、に出
会ったら、自分の中は子鬼やら悪魔やらの魑魅魍魎がたくさんいるだけでした。
不安、恐怖、虚栄、怨恨、.....

「ほんとうに教育されなければならないのは、この部分なのだ」
とつくづく思いました。人の幸せや能力に直結しているのは、この部分なのだと。

そうなってしまうのは、本当は脅しと競争で成り立っているのに、取り繕うやり
かたばかり教えている教育にある、と思いました。


この世の中は善でできている。ほんとうに親切は人はいる。
この世の中に美しいものがある。
探求には価値がある。

そういうことを実感できて育ったときに、ほんとうに社会の荒波の中でも生きて
いける子どもが育つ。
それが教育なのだ、と思うようになりました。

古山