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huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

最近のこと

 

古山です。

火曜日の有栖川宮公園で、小さな子どもたちを引率したグループとよく出会いま
した。この中に、子どもと遊んでいるときの、間合いの取り方、身のこなしの上
手おな兄さんがいるから、話を聞いたら大学4年生でした。昔から、このグルー
プのお手伝いをしているとのこと。
こういうような人が、子どもの遊びグループにいてくれるといいだよね。
ほんとに何かが伝わっていきます。

幼児には、優しいことが正義なんだ。
小学生くらいの子には、おもしろいことが正義なんだ。


昨日の千葉市でやったホームスクールの対談イベント、20人以上の人が集まって
くれました。
私はレジュメを用意しないで行きました。こういうとき「これとこれをしゃべろ
う」と構想を立て、スライドを用意していくと、一方通行の授業みたいになって
しまう。おおまかなことは考えるけど、あとは成り行き任せ、吉度さんといっし
ょに、ずいぶんとおもしろいことをしゃべれました。アロマスプーンのことも宣
伝しておきました。

こういうイベントである程度数が集まると、「それが当たり前である世界」がで
きます。来てくださった方たち、ありがとうございました。

 

2月の末に、「教育機会確保法」の基本指針作りのパブリックコメント募集に応
募するのに、数日を費やしていました。

教育の分野は、憲法、国際条約、教育基本法までは、スジがいい。
でも「学校教育法」というのが、「とにかく学校にこないとダメ」の法律です。
日本が昔ながらの教育の殻から出られなくなってしまった、元凶です。

「教育機会確保法」は、この「学校教育法」に、ヒビくらいは入れています。
対象を「不登校児童生徒」に絞っている。それを解釈や運営で広げられる余地が
あるか、その研究でした。

今回は、「民間の意見を反映させる」というのが、法律の条文にも入っているか
ら、ある程度は言う甲斐のあるパブコメでした。

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古山明男

 

教育って

 

古山です。

覚え込ませようとしない。

達成させようとしない。

よいこと、素晴らしいことを子どもと分かち合う。

困ったこと、悲しいことをいっしょにくぐり抜ける。

そうすると、子どもも変わる、大人も変わる。

教育って、そういうことなんだと思います。


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古山明男

不登校とホームスクール


古山です。

おもしろい記事がありました。紹介します。

不登校とホームスクール」
http://www.es-inc.jp/library/mailnews/2016/libnews_id008690.html


(一部を抜粋します)

目的は「子どもを学校に行かせること」ではなく、「子どもによい教育を受けさ
せ、次の社会を創り出し、支えられる人を育てること」ではないのでしょうか?

 AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)などによって、働き方や人間
の役割・有用性が激変する時代になっているにもかかわらず、とにかく「学校教
育とは全員がそろって受けるものだ」「とにかく学校に行かなくてはならない」
という、前世紀のメンタルモデル(思い込み)に縛られていては、個々人の幸せも、
社会としてのレジリエンス(しなやかな強さ)もおぼつかないでしょう。

決まった就業時間に全員がそろって仕事をするのではなく、もっとしなやかでも
っと多様な働き方が必要だし、そのほうが効率的・効果的だと「働き方改革」が
進んでいるように、もっとしなやかでもっと多様な学び方が必要ではないでしょ
うか。

 

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古山明男

遊びを充実させることが一番の学び

 

古山です。

 昨年9月に「おるたネット」が主宰した、汐見稔幸講演会での、汐見氏の発言
からです。汐見氏は、白梅学園大学学長、東京大学名誉教授。


 幼児教育で先行していることなんですが、幼児教育では、しばらく前から遊び
を中心に据えるという方針に変えています。

 どれだけ遊びを面白くするか、どう遊びを発展させるか、遊びを充実させられ
るかどうかが一番の学びなんですって言われています。

 なぜかと言えば、人間は、主体的に遊びを考える中で最も頭を使う。遊びの中
で工夫し、充実感を味わい、失敗すると「ちきしょう」と思ってまたチャレンジ
していく。

 遊びの中で子どもたち同士が関わって、時にはけんかもしたりするけれど、他
人の想像力と自分の想像力を合体させたら、面白いことができるわけだよね。そ
ういう、一人でやるよりも、二人、三人でやったときのほうが面白くなるってい
うことを学ぶのも遊びなんです。

 


私も、この教育論がもっとも根本的なものだと思っています。幼児教育だけでは
ない、もっと年齢が上がっても、同じです。遊び心を主柱にした教育が、もっと
人間性に深く根ざした教育だと思います。


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古山明男

いくつかの短い詩

 

タゴールの詩集を読んでいて、はっとした短い詩を三つほど。


星は蛍のように見えることを怖れはしない。


神は大帝国には倦むがささやかな花には倦まない。


すべての嬰児は、神がまだ人間に絶望してはいないというメッセージをたずさえ
て生まれてくる。


タゴール詩集 山室静訳 弥生書房)

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古山明男

取り繕い方を教えるのではなく

 

ある、公立学校の先生も、シュタイナー学校の先生もしたことがある人が言って
いました。
「何教育ということに関係なく大事なことがある。それは、子どもが取り繕わな
くて済むことだ」


私自身、外面的には優等生でした。
しかし、学生運動の嵐が吹きすさぶ大学に入って、個人的にも困難な状況、に出
会ったら、自分の中は子鬼やら悪魔やらの魑魅魍魎がたくさんいるだけでした。
不安、恐怖、虚栄、怨恨、.....

「ほんとうに教育されなければならないのは、この部分なのだ」
とつくづく思いました。人の幸せや能力に直結しているのは、この部分なのだと。

そうなってしまうのは、本当は脅しと競争で成り立っているのに、取り繕うやり
かたばかり教えている教育にある、と思いました。


この世の中は善でできている。ほんとうに親切は人はいる。
この世の中に美しいものがある。
探求には価値がある。

そういうことを実感できて育ったときに、ほんとうに社会の荒波の中でも生きて
いける子どもが育つ。
それが教育なのだ、と思うようになりました。

古山

こどものファンタジー

 

最近、子どものときの心情に、ふうっと返っていることがよくあります。

きょうは、ふうっと、空想の世界に入り込みたくなる気持ちが湧いてきました。
空想の世界といっても、なんでもいいというわけではないのです。あの、親の膝
の中にスポンと潜り込んでいくように、気持ちよく入り込んでいく世界です。
そこには、真・善・美、そして驚異が流れているのです。


たとえば、小学生のときよく入り込んでいたものの一つが、自分のための理想の
船を考えだし、絵に描くことでした。その船の中には、いろんな船室があって、
すべてがそろっているのでした。その船で、いろんな海や川を冒険して行くので
す。
そのほか、たくさんの空想世界やストーリーを考えていますが、それは自分で考
えているようでもあり、自然に湧いてくるようでもあります。

その後の自分が生きてきた後をたどると、一生ずっと、この空想の世界と接触し、
それを形にして描き出すということが、天職であったように思います。子どもの
ころやっていたことが、自分の人生の予行演習でした。

なによりも、空想の世界の中で何が美しいかワクワクするかの直感力を磨き上げ、
それを絵やストーリーに具体化するということが、子どものときの大事な能力開
発であったと思います。


小学生くらいまでの子どもが、さかんに空想の世界に入り込み、それを絵に描い
たり、お話にしたり、工作の作品を作ったりします。これが、ものすごく重要な
のです。特に、繰り返し現れるテーマは、重要です。

たいていは、その子の人生の青写真作りになっていたり、人生の予行演習になっ
ているのです。


私の場合、学校には、このファンタジーのもたらす、美しい、楽しい、わくわく
するものがありませんでした。やらなければならないことが延々とあるだけの砂
漠でした。家に帰ったら、学校のことはすべて精神からシャットアウトして、空
想の世界に入っていました。だから、勉強はしない。宿題は、その日の朝になっ
てやっつける。学校に行く気分になってからなら、宿題と付き合うのもさほど腹
が立たない。

そして、この世界に入り込むことが、生きることでした。
決して空想の中に閉じこもったのではなく、いろんな事物をストーリーに見立て
て遊ぶことでした。結果的に、事物の性質にも触れますので、知識や技能もたく
さん取得しました。
学校の授業は、もうわかりきっていることを、復習するようなものでした。


学校でよく「自分の将来の夢を書きなさい」と課題が出されます。でも、課題と
して出され、評価がされる状況で、子どもの人生に深く関わるファンタジーが出
てくることは、まず期待できません。「先生になりたい」とか「保母さんになり
たいとか」のほとんどは、その時々の世の中の流行や、大人たちの意見を反映し
ているものです。

子どものファンタジーは、そうっと、そうっと扱ってやらなければいけないので
す。
もし、子どもがストーリーや絵を持ってきたら、一番いいのは、それを自分の心
の深くに沈み込ませることです。論評しないことです。もし感動したなら、素直
に感動を伝えればいいけれど、褒めたり継続させようしたりしないことです。

ああ、そうかい。そういう世界に生きているのかい。ああ、そうかい。うん。、

 


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古山明男