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huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

ストーリー遊び

古山です。

子どもは、さまざまな遊びをしています。
その中にストーリー遊びがあります。子どものストーリー遊びの世界に入り込ん
でいくと、子どもがたいへん精神的な存在であることがわかります。


子どもが遊んでいるとき、たいてい、何かのストーリーが伴っていることに気が
つくと思います。先日の有栖川宮公園でのお遊び会での例ですと、まさとくんと
ゆりくんが、地面に線を描いていましたが、それは電車の線路で、どこかにつな
がっているのでした。地面に埋まっている石を掘り出そうとしているのは、それ
が何かの宝物だからでした。

このようなストーリー遊びは、子どもの発達になくてはならない重要なものです。
トーリー遊びは、大人の思想・哲学に相当するものなのです。

子どもの発達を大人の目から見ますと、感覚を発達させ、身体を使いこなし、物
を扱い、社会性を身につけていくと見えます。ところが、同じことを子どもの意
識がどうとらえているかというと、さまざまはストーリーがわき起こってきて、
それに従って何かを演じたり、物を並べたりしているのです。

地面に半分埋もれている石を掘り起こそうとするとき、それが技術の習得になる
からやっているのではありません。それが海賊の宝であるから掘り出そうとして
いるのです。

このようなストーリーは、ビジュアルなものです。言葉でもある程度表現されま
すが、本体は映画のようなものとして子どもの中に直感的に浮かんできます。こ
のビジュアル・ストーリーは、大人になっても、眠っているときに見る夢という
形で残っています。

数日前、私は朝目が覚めるときに、夢を見ていました。「海辺に車を運転してや
ってきたが、車からちょっと降りてなにかの用件に関わっているうちに、車が見
つからなくなってしまった。自分の車はどこだろうと探し回っている」という夢
でした。

その数日前に、私は思考と感情と身体の感覚をうまく溶け合わせることができて、
「ああ、生きるってこういうことだ。幸せだ」という感じをつかんでいました。
ところがそれから元気まかせに、東京での教育関係の集会でコーディネーターを
やっていました。自分の身体のことをつい忘れ、他人に流され、自分の社会的能
力に「もっとうまくできたはずだ」とふがいなくなります。そして、疲れたとき
に特有の甘い物食いをやって、心身のバランスを崩していました。

でも、その疲れにあまり気がついていなくて、「あの本を読んで、あれを文章に
まとめて」ということばかり考えています。考えていても、集中力はさっぱりな
い。そういう状態でした。

夢は、その状況のことを「こういうことになっているのさ」と説明していました。
自分の昼間の意識が、目先のことに埋もれてしまっています。そうすると、生き
ることそのものから湧いてくるような知恵が現れてきて、ビジュアルなストー
リーを使い、「自分の車を見失ったようなものなのさ」と伝えているのでした。

このようなビジュアルなストーリーは、状況判断であり、そのときそのときに行
動指針なのです。子どもの場合は、眠っている時だけでなく、いつも湧いている
のです。その場その場の行動指針のこともありますし、長期にわたる人生行路に
ついて言っている場合もあります。

言語を使った思考は、かなり年齢がいってからでないと使いこなせるまでに充実
してきません。また、言語思考は、使いこなしやすいという利点はありますが、
届く範囲が狭いのです。

子どもは、感覚や感情で生きているのではありません。いつも高度な判断と思想
が伴っています。それが、いつもわき起こってくるストーリー遊びなのです。子
どものファンタジーとも呼ばれます。

子どものファンタジーの重要性をはっきり認識し、ファンタジーから働きかけよ
うとしているのは、シュタイナー教育です。

とくに認識しているわけではないければ、「子どものやりたがることを大事にし
ていればいいのさ」というのが、自由保育、自由教育です。結果的に、ファンタ
ジーを大事にしています。

子どもの内面は、ストーリーで溢れています。それを遮って、知識や技能の習得
に振り向けさせるというのが、普通の学校教育です。短時間なら、それもかまい
ません。でも、一日の中でも長時間、週や月や年の単位でも長期間に渡って子ど
もの内面をストーリー遊びから切り離しますと、自分が生きている実感を失いま
す。自分が人生の主人公でなくなり、ロボットのようなものになっていきます。

子どものストーリー遊びは、やがてさまざまな形に発展していきます。思想、芸
術、哲学になっていきます。

そのことを理解していて、子どもの遊びに暖かい目を注いでいること自体が、大
事な教育になっているのです。

 

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古山明男