宝物のような時間
古山です。
私は、甥が11歳から20歳をすぎるまで、うちに住まわせてホームスクールをして
いました。その経験から、これが一番大事だ、ということがあります。
子どもが、まだ、かまってほしい一心、遊んでほしい一心の時期があります。
これが、宝物のような時間なのです。
この時期に、子どもと共に生きることなのです。
子どもは、あっという間に大きくなってしまいます。からみついては来なくなり
ます。
「日曜日になったら海に連れて行ってあげる」
ではなくて、いま、子どもと戯れることなのです。
大人は忙しいです。まとまって時間ができたら、などと考えていたら、いつのま
にやら子どもとすれ違ってしまうのです。
準備など必要ありません。いま、子どもとすれ違ったときに、ちょっと声をかけ
たり、ハグしたり、おもしろい表情をしたりするのです。数十秒ですみます。
明日の一日ではなく、いまの30秒。
大事なのは、こっちの遊びごごろ。
この時期の子どもはうるさいです。いくらでも「もっと、もっと」になります。
それにぜんぶ付き合う必要などありません。「ごめんね、忙しいから」でさっさ
と打ち切ってかまわない。
時計で測れる時間の長さではありません。お互いに響き合った、嬉しさの量です。
子どもの中に、書物にかいてあることよりはるかに重要なことが書いてあります。
それは、「人間の中のクリエイティブなもの」についてなのです。
子どもと戯れることを、瞑想やヨガにすることすらできます。
甥は大過なく育ってくれました。世間的な意味では、いい学歴をつけ、いい職に
つきました。でも私は、悔やまれることがあります。それは「こんどまとまった
時間ができたら」で、大事なタイミングをたくさん逃したことです。