huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

いきる力

朝、目が覚めて、横になったまま、「きょうは、~に行って、~をして、あれと
あれに気をつけて....」に入り込みかける。

ああ、そうじゃなくて、いま、別なものを探しているんだ。
生きる力を探しているんだ。

身体からやってくる感覚を、なんであろうと感じる。布団の中の温かさ。手の感
覚。背中にちょっとかゆいところがある。そんなようなこと、なんであろうが、
そのままに。

物音に、耳をすます。遠くの自動車が走る音。風で、窓が小さくカタカタいう音。

感情のようなものが流れている。いまは、悲しみめいたものかな。身体の感覚と
感情は、別のものじゃない。いつも流れているこの流れ。何かがある。

身体を起こして、座る。そうすると、感じられることが、また変わってくる。
動きたくなったら、手を伸ばしたり、首を回したり。
私は、スケジュールの中に生きているんじゃない。まず、身体の中に生きている
んだ。

この、身体、感情、周囲に起こっていることの知覚、それプラス何かしたくなる
気持ち。
これが、子ども時代なんだ。
すべてのことを、全身全霊で受け止め、全身全霊で生き抜く。それが、自然に起
こること。それが子ども時代。

生きるエネルギーにたどりつくと、それは子ども時代には当たり前のものであっ
たことに気が付きます。すごく、シンプルな生き方なんです。

何が、それを壊したのか。
将来への心配。どう思われるかの心配。失う心配。
それらの心配と闘って創り出した、たくさんの結論、

自分を守る壁を作るために、知性を使ってしまった。
だから、自分の考えが、自分の牢獄。

自分が悪いんだけどね。

だけど、学校も悪いよ。生きるエネルギーと繋がるやりかたを教えてくれないで、
テストの成績がよければ、すべてよしなんだ。叱られないですむ方法とか、わか
ったふりをする方法とか、そんなことをしこたま教えてしまうんだ。おたがいに
ド突き合いをすることによってしか、仲良くなれない人間関係とかもね。

だから、大人になって人生問題に直面したとき、どうしていいかわからなくなっ
てしまう。手当たり次第の結論を、ミノムシみたいに身に着けて生きるしかなく
なってしまう。

そうやって失われたオレの青春...
成績をあげさせるための教育って、間違ってます。
生きることのすべてに、愛をしみこませることが教育です。
知識も役に立ちます。技能も役に立ちます。

でもそれを習得させるために、子どもを脅したり、恥をかかせたり、競争させた
り。宿題やら、テストやら、学校外の生活までコントロールしようとするなん
て....。

やだよ、そんなの。
学校なんて、ほんとうに必要なの?
と、子どものときは言えなかった。
だから、いま、言っています。