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huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

学校に行く行かないはどうでもよくて 2

甥とホームスクールをしていたときでした。

甥は、よく「おじちゃんは、どういうことをして遊んでた?」

「どういうことが面白かった?」ということを尋ねてきました。
「模型を作るのが楽しかったなあ」
とか
「地下水というのがあるというから、庭に掘れるだけ深い穴を掘ってみたよ」
そんなことを言うと、よく伝わっていました。甥は庭を掘りませんでしたが。
いいものは何? 面白いものは何?
何か、積極的な価値のあるものを、子どもは知りたがります。

甥と暮らすようになって、少し意識的にやっていたことがありました。
テレビを見ていたときなど、これはすごいね、立派だねということがあったら、
それを口にすることでした。普段だったら、ふんふんすごいね、と思って終わる
ことを、
「この芸人さん、間の取り方がうまいねえ」
「ふうん、見事なものを作ったものだ」
「あの選手、いい判断だったね」
というふうに、言葉にするのです。
これは、本当に感じたことでないといけない。作為があると、教師やお坊さん
みたいになってしまう。

私の母が、親切にしてくれた人のことをよく話していました。戦争中の物資が
なかった時代に、ビスケットやお米をわけてくれた人のこと。親が死んで、兄弟
だけ取り残されたときに、親身になって取り計らってくれた叔父さんのこと。そ
れは、母がほんとうに感動していたことでした。
母は、「グラジオラスが今年も咲いたよ」とか「ほらほら、見てごらん。スズ
メがきて餌を食べてるよ」というようなことを、よく口にしました。私も、ほん
とだきれいだ、ほんとだ面白いと見ていました。
観察眼をつけるということは、「きれいだよ」「おもしろいよ」なんです。
「観察しなさい」「報告しなさい」ではないのです。

子どもは、真、善、美に対して食欲を持っています。作為のないものが、栄養
価の高いものです。栄養価の高いものが日常にたくさんあると、子どもは自然に
それを採集し、摘み取って食べてくれます。

古山明男