小学校低学年のころ(1)
古山です。
自分の小学校低学年の時代を思い出します。
よくなんとかなったものだ、と思います。
不登校すれすれでした。
でも、当時は「学校に行かないこともあり得る」なんてことは誰も頭に浮かばない時代でした。
それは、見知らぬ外国の街中に、いきなり放り込まれて置き去りにされたようなものでした。
そして、泣いてはいけない、不満を言ってもいけない、ということが
なぜか深くすり込まれています。
学校では、身の回りの人たちのしゃべっていることが実質的には外国語で、理解
できません。
幼稚園でも、学校でも、先生や同級生が何を言っているのか、さっぱりわかりま
せんでした。言っていることの、字面の意味はわかるのです。
でも、どういう意図があって、どういう文脈で言われているのかまったくわからない。わからないけど、とにかく頷いておいて、あとは、友達の真似をしてその場をしのぐのでした。
同級生たちがきつい子が多くて、つらかった。人が嫌がることをわざわざして喜
ぶ連中。
外国の街に放り出されて、チンピラたちに取り囲まれている感じ。
でも、親には言えない。どうしてなんだろう。とにかく言えない。
1,2年生の時の担任の先生は好きでした。やさしい感じの中年女性でした。
厳しい叱責や体罰はなかった。
でも、先生が教室秩序の維持のために言う「こうでなければいけませんよ」という注意のあれこれをまともに受け止めていました。
それはもっとも落ち着きがない子どもたちのために発せられたものです。
まじめで気の弱い子どもは、数々の「こうしてはいけない、ああしてはいけない」に呪縛され、萎縮していたのだと思います。
いちばん怖かったのは、宿題をやってこないことと、忘れ物を注意されることでした。
子どもへのあたりはきつくないけれど、教室秩序維持のために「いけないこと」は確実に押さえる先生だったのだろうと思います。
良識あるまじめないい人です。
でも、おもしろいさやノリで盛り上げるタイプでもなかった。
最近、算数の「寺子屋しおみ」をやっていて、「学校で先生は好きなのだけれど、学校には行けない」というお子さんに二人出会いました。
たぶん、あの時の私と同じような状況だったのだろうと思います。
でも、とにかく、私は学校で耳を閉ざさなかった。
先生の言うことを、一言一句逃さずに聞いていました。
だもので、成績はだんだん上向いてきました。
今から思うと、それは奇跡のように思えます。
あれだけつらい学校生活でも、耳を閉ざさなかったこと。
多くの子どもたちが、先生がしゃべっていることに耳を閉ざし、白日夢にふけるようになっています。学力不振の直接原因は、たいていこれです。
先生がしゃべり始めると、条件反射的に自分の空想の世界に入っていくのです。
私は、大学生になってから、それを体験しました。
ああ、そういうことだったのね、お勉強ができないということは、と深く納得し
ました。