huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

電車の中で出会った二組の親子

ある日曜の午後だった。

八ヶ岳山麓に行った帰りで、私は中央線の新宿方面行き各駅停車に乗っていた。
東京方面に帰る客が多く、特急の自由席では座れそうになかった。

確実に座れたほうがいい。各駅停車はがらすきだった。じっくり本でも読んでいよう。

いろんな乗客が乗っては降りていく。
甲府を過ぎたあたりで、母親と娘が乗り込んできて、私のいるボックス席に座った。

娘は中一か中二くらい、母親はまだ三十代の印象だった。
塾の講義か模擬試験でも受けた帰りのようだった。

座るなり、母親は娘にお説教を始めた。
なにかしら、勉強に関したことで娘がしくじったらしい。

母親は、もっと注意力を働かせることと、日頃の勉強の大事さを説いていた。

厳しい詰問調ではなかったが、優しくもなかった。
誠実さがあるから子供の信頼を失うこともないだろうが、
それだけに子供から反発もしにくいだろう。

娘は黙ってそれを聞いていた。娘はなんの表情も見せなかった。
なにかしら娘なりの立場があったらしい。

母親の言うことがまったくその通りだと思えたわけではないようだ。
しかし娘の立場はいかなる表現の形になることもなかった。

本人の中でも言葉になってはいないだろう。
娘も母親の言うことは正しいと思っているにちがいない。
なにかモヤモヤして割り切れないものを感じているだけだ。

母親の話はずっと続いていた。こういう時、話は長くなるものだ。

相手から反応が返ってこないと、人は言葉を変えては分からせようとする。
分かってもらいたい内容に気を取られて、自分の無慈悲さには気がつかない。
それが相手をいっそう黙らせる。
言っているほうがくたびれるまで続く。

私はいつのまにか、この親子のことは忘れて読書にふける。

何分たったかは知らない、ふと気づくと、この母娘の話の調子は変わっていて、
日常の出来事を楽しそうに話していた。
娘もさっきとは変わってうち解けた様子だった。

そう親から子へ一方的なだけの関係の母娘ではなさそうだ。

子供に説き聞かせることで、子供の注意力を高めたり、
集中力をつけたりすることはできない。

それどころか、逆効果になる。
言われるほどに、子供はかじかむ。

「集中しなければ」という言葉が頭の中で鳴り響くばかりで、
肝心の目の前のことには注意がいかなくなる。

心構えや気持ちの持ち方などに関して大人に意見されると、
子供は本能的に反発するものだ。

なぜならそれは本人自身で形成しないと自分のものにならないものだから。
下手に言葉で指示するのは、蠣から出たばかりのチョウの羽をいじるようなことになる。

私は勝手に想像をふくらます。

この子は素直さと、言葉に対する感受性を持っているから、
けっこう成績はいいだろう。

でも中学の後半になるとずるずると成績が下がる。

自分で納得する力が弱いからだ。
特に数学がむずかしくなる。

それでも、そこそこの高校・大学に進学できるだろう。

時代や境遇の荒波がなければ、大過なく冴えもない善良な生活を送るだろう。
しかしながら、この子は精神の葛藤に弱く、一面的な説明にしがみつきやすくなる。

精神の自由への干渉は、自分がされても自分がしても、そもそも気がつかないだろう。

やがて大人になって、自分の子供にお説教をするだろう。
自分の子供に反抗されたとき、それがなぜだかは全く理解できないだろう。

目の前の母娘が現実にそんなタイプであるかどうか、本当は分かりはしない。
人間は単純じゃない。私は、平均的な「お勉強母子」を思い描いていただけである。

この親子は山梨県内で、電車を降りていった。

電車が八王子を過ぎる頃になると、車内はだんだん混んできた。

その中に、よく聞こえる声を出している男の子がいる。小学校の中学年くらいだ。
父親にさかんに話しかけている。いろいろなお化けや幽霊のことを話している。
父親もそれを楽しんでいる様子で、相づちを打ったり、「こんなお化けもいるぞ」と
話題を広げたりしている。子供はそれを真に受けて、興味津々で聞いている。

やがて、二人の話題は、どのような虫がどこに住んでいて、足がどうなっていて、
羽の色がどうだというようなことに移っていった。

いい関係の親子だなと思う。注意力、集中力はこういうふうに育てるのだとい
う手本のようだ。子供の一歩後を歩きながら、共に楽しむ。
それだけのことなのだ。

この子の知的能力はもう保証されているようなものだ。
できれば、小学生のうちにあまりいい成績をとらないほうがいい。
成績ばかりに着目されて、ただの偏差値秀才にされてしまう。

今こんなことを思い返していると、あの二組の親子の話していたことを
もっとよく聞いていればよかったと思うのだが、
そのとき私は自分の読んでいた本が面白かった。

その本の中では、中国の一つの王朝が滅び、別な王朝が興っていった。

(「たらんと広場」No.3 1998.5.11/古山明男)