イギリスのホームスクールガイドライン
おもしろいものがありました。
イギリス政府が、地方政府に対して出している、ホームスクール家庭のためのガ
イドラインです。
「親に求められていない」こととして、次のような項目が挙げられています。
これをしろではないのです。不要、もしくは有害とされている、ということです。
味わいがあります。
・ナショナル・カリキュラムを教える
・幅広く、バランスのとれた教育を提供する
・時間割を持つ
・特定の標準に基づく施設を持つ
・教育が行われる時間を設定する
・保護者の特定の資格
・事前に詳細な計画を立てる
・学校の開校時期に従う
・正式な授業を行う
・子どもが作った作品を評価する
・発達状況を正式に評価する、あるいは発達目標を設定する
・学校での仲間グループによる社会化を複製する。
・学校の年齢ごとの基準に合わせる。
もし親に求められれば、こういうことをアドバイスし、支援してもいいけどね、
という但し書きはついていますけれど。
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古山明男
木登り
古山です。
さまざまな遊びの中にも、定番と言えるようなものがあります。
その一つが木登り。
先日の東京でのお遊び会でも、昨日の科学遊びの会でも、木登りがはやりました。
木登りは、すごい全身運動です。どうやって登るかの戦略と判断力、バランス感
覚、筋力、動きを組み合わせる巧緻さ、みんな必要です。
型にはまった能力ではなく、その木ごとの形状、性質を見抜かなければなりませ
ん。だから、おもしろいのです。
木登りには、高い倫理性があります。木に登る目的? そこに木があるからだ。
人間が高みに登ろうとすることに、理由などつけられるものか。
そして、上に登ったときの、視野の広がり。たまらないですね。
木に登るときは、いつも危険と隣り合わせになります。「怖い」という思いと自
分の中でどう付き合うか。その子なりの答えを出す必要が生じるのです。
この「怖さとつきあえる」ということ、生きていく上で、ものすごく重要なので
す。怖さを無視しない、なおかつ怖さに圧倒されない、その両方の中でバランス
を取ること。これはとても大事な、生きることの知恵です。
木登りそのものが、生きることの予行演習になっているのです。
教育とは、「木登りして落ちても叱られない」という場を作り出すことだと思い
ます。
木登りしやすい木は、シイの木です。シイの木は低いところから枝分かれがあっ
て、登りやすいのです。公園にあるシイの木は、スダジイかマテバシイです。ど
ちらもドングリがなります。
千葉公園にシイの木がたくさんあります。あらかじめ調べて難易度のA,B,C
みたいなのをつけた地図を用意し、木登り会みたいなのをやろうかなと思います。
あと、木登り名人の大人がいるといいのですが。
難しい木に、見事に手をかけ、足をかけ、スルスルッと登っていく人がいる。そ
れを見ているだけで、大事なことが伝わるのです。
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古山明男
普通教育機会確保法第3条(三)
古山です
法律の解説の続きです。
(理念)第3条
三 不登校児童生徒が安心して教育を十分に受けられるよう、学校における環境
の整備が図られるようにすること。
これは、不登校児童生徒を学校に来させるように、ではありません。
学校に来るならば、もう不登校ではありません。
この条文は、不登校の子どもは不登校のまま、学校が支援せよ、という意味です。
具体的には、ネットなどによる通信教育、訪問型支援、学校の施設・備品の利用
などに、人員と予算をつけられるようにしようというものです。
「不登校児童生徒が安心して教育を十分に受けられるよう」の教育は、学校の教
育とは言っていないところが大事です。
子どもがフリースクールに通っている場合は、その教育を安心して十分に受けら
れるように、学校の態勢を整えろ、という意味にまで解釈することができます。
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古山明男
普通教育機会確保法第3条(二)
古山です。
「教育機会確保法」は、不登校を現実と認めて現状のまま支援せよ、という主旨
の法律です。私たちにとって、影響の大きい法律です。その重要な点をまとめて
います。
(理念)第3条
二 不登校児童生徒が行う多様な学習活動の実情を踏まえ、個々の不登校児童生
徒の状況に応じた必要な支援が行われるようにすること。
<説明>
「多様な学習活動の実情を踏まえ」と言っています。学校に限らない、教科学習
に限らない。実情に沿って、そして個々の状況に応じて支援せよ。
この条文で、学校に行かないことも、保護されます。さらに、この条文を受けて、
第13条が、同じことをもっと具体的に言っています。
ただ、学校に行けるけど、よりよい教育としてホームスクールを選んだ場合はと
いうと、この法律の対象外です。
その場合は、「学校での集団生活に困難があります」ということを前面に出して、
不登校に含めてもらい、実績を積み重ねて次の法制化を待つという方向かと思い
ます。
国際条約や憲法によって、ホームスクールは正当である、と主張することはでき
ます。でも、国内法の整備がないので、学校や行政の方たちを動かすことは無理
です。
国会議員には、「いまの学校教育の枠組みに縛られることはないじゃないか」と
いう人たちはけっこういます。
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古山明男
普通教育機会確保法第3条(一)
古山です。
第3条のはじめの3項目を読んで、どんな印象を持たれましたか。
不登校の子どもを護ると言っているのに、これは、学校に来なさいというのが基
本になっているじゃないの? そんな印象を持ちませんでしたか。
たとえば、一の
「全ての児童生徒が豊かな学校生活を送り、安心して教育を受けられるよ
う...」
は、
「全ての児童生徒」と言っているのだから、不登校の子どもも含まれるではあり
ませんか。その子どもたちが「豊かな学校生活を送り」ですから、学校に来させ
ろということなのでしょうか。
のっけから、こんな文が出てくる。いったい、なんのための法律だ、これは。
そこが、この条文のしかけなのです。
ちょっと学校の勉強めいて申し訳ないのですが、次の文の主語はなんでしょうか。
一 全ての児童生徒が豊かな学校生活を送り、安心して教育を受けられるよう、
学校における環境の確保が図られるようにすること。
はい、そうなんです。
「学校における環境の確保」です。
つまりこの文は、児童生徒が学校に来いとは言っていません。学校を良くしなさ
い、と言っています。
不登校問題がある。まずは、学校を良くしろ。と、当たり前のことを言っていま
す。
子どものせいにするな、学校のことを考えろということだ。そこまで読み取って
もいいです。
でも、「学校は頑張ることを学ぶ場だ」と考えている人たちは、「全ての児童生
徒が豊かな学校生活を送り、安心して教育を受けられるよう、」で安心するわけ
です。これなら、学校に来るのが当たり前である、という前提を崩してはいない
と。
それは、誤読です。
しかし、この条文は誤読を狙っているのです。そうしないと、法律が成立しなか
った。
これからも、誤読は後を絶たないでしょう。
この条文は、子どもを学校に来させよという意味ではない、学校を良くせよとい
う意味だ、ということは、きちんと押さえておかないといけないです。
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古山明男
普通教育機会確保法第3条
古山です
硬い話になってもうしわけないのですが、すこし、法律の条文に立ち入らせてく
ださい。学校外での教育をしようという人たちにとっては、たいへん影響の大き
い法律です。
この、第3条が基本的なところを決めています。5項目あるうちの最初の3項目
を引用しました。とにかく気軽に読んでみてください。
どのように感じましたか?
第3条
一 全ての児童生徒が豊かな学校生活を送り、安心して教育を受けられるよう、
学校における環境の確保が図られるようにすること。
二 不登校児童生徒が行う多様な学習活動の実情を踏まえ、個々の不登校児童生
徒の状況に応じた必要な支援が行われるようにすること。
三 不登校児童生徒が安心して教育を十分に受けられるよう、学校における環境
の整備が図られるようにすること。
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古山明男
遊びの理論
古山です。
遊びの理論をまとめようと試みています。
遊びには伝染性があります。誰かが楽しく遊んでいると、ほかの子どももやりた
くなるのです。
2歳の子でも、これは普通に見られます。
2,3歳の子どもたちが、おもちゃの奪い合いでけんかになることがしょっちゅ
うあります。親は、「人の物を奪ってはいけないことを、いまからしつけなかっ
たどうなることか」とハラハラするのですが、これは、まったく心配いりません。
自然解消します。
「ほかの子が、とても楽しい思いをしている。自分も味わいたい」それだけなの
です。2,3歳では、他人の状況まで読めないというだけのことです。「自分も
味わいたい」は、向上心と言ってもいいです。これが、学習の基盤なのです。
遊びには、大きくわけて、一人遊びと集団遊びがあります。どちらも伝染性があ
ります。
いまでは、本、雑誌や、ネットなどでも伝染します。
「おもしろいことをやってみたい」
これが、学びの動機です。
いまの学校教育が、この大事な大事な動機を、無視しています。
だもので、ムチとにんじん、「将来は?」という脅しを持ち出さなければならな
くなるのです。
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古山明男