huruyama blog

学びや子育てやホームスクールなどなど 古山明男さんのコラムが大好きなので ご本人の許可を頂き紹介しています。

発達障害について 2

古山です。

グレン・グールド(1932~1982)というカナダ生まれのピアニストがいます。

天才と呼ばれています。

私が若いころから、この人のレコードは出回っていました。評判がいいからと聞
いてみたけれど、テンポがめちゃくちゃゆっくりだったり、速かったり、奇矯な
演奏だとしか思えませんでした。

いまから十数年くらい前でしょうか、ふと、YouTubeグレン・グールドが演奏
するバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を聞きました。

そうしたら、今まで聞いたこともない美しさが流れている。ああ、そういうこと
だったのか。そういうことを伝えたい人だったのか。
ただ、聞き入りました。

一音一音の奥にまで美しさがこもっています。
抒情的なのですが、人の感情におもねるところがまったくない。静謐さの中に流
れる美しさです。
従来の演奏様式とまったく違うところに、新たなものを見つけて、差し出してい
るのです。
この人は奇矯な行動が多いことで知られています。
数十の、精神安定剤や栄養剤を常用する。椅子にこだわる。演奏しながら歌いだ
す。いつでも、マフラーや手袋をしている。人と握手するのを拒否する。拍手さ
れるのがきらい。
やがて、コンサート活動から身を引いてしまいます。録音でだけ、演奏活動をす
るようになります。

グレン・グールドには発達障害があった、という説が広まっています。
そのように捉えることもできるのでしょう。

でも、この人の演奏を聴いていると、この人は自分が聴き取っていたものを生き
抜こうとしていただけなのだと思います。

人一倍鋭敏な感覚を持っていないと、彼が聴き取っていたものは聴き取れなかっ
たでしょう。そのために引き換えにしなければならないものがあったとしても、
それは十分におつりの来たでしょう。

グレン・グールドは、ピアノという表現手段を持っていたから、何を生きようと
していたかが、他人にもわかりました。
でも、鋭敏すぎる感覚を持っているけれど、グレン・グールドのような表現手段
を持っていない人は、発達障害の部分しか見てもらえないでしょう。

自閉症とはっきり診断された子を、週1回みていたことがありました。
その子が、ときどきなにか遠くの音に耳を澄ますようなことをしていました。
なにかの香りを、うっとりとかいでいるときがありました。

たぶん、私たちには捉えられない別の美しいものに、チューニングがされている
のだと思いました。

与えられたものを履修し「成績」を上げさせることが教育である、という国に私
たちは生きています。その教育は、産業社会向けに特化しすぎていて、大きな危
うさを感じます。一人一人が何を感じ、何を見ているかに焦点が当たっていない
のです。

そういう中に、まったく別なことを見ている子どもたちが大量に生まれてきてい
る。それには深い意味があるように思えてなりません。

発達障害について

古山です。

発達障害についてのお尋ねでした。発達障害の原因がなにか、どうしたらいいの
か、私にはわかりません。

わからないままに、障害児っぽい子どもたちに、とにかく親切にする、見おろさ
ない、批評しない、を私塾でやってきました。人間として当たり前のことをして
悪かろうはずがない、というだけなのですが、そこそこの結果は得ています。

発達障害は、近年、急に増えました。
どうしてなのか、いろいろな原因が言われますが、どれも推測の域を出ません。
遺伝、妊娠期間中の影響、脳の機能障害、育て方の変化、テレビ・ゲーム、食べ
物、環境汚染、電磁波、診断概念が普及した、などなどです。どれも、否定はで
きないのですが、はっきりしたデータには出会いません。原因が単一なのか、複
合しているのかもわかりません。

その中で、比較的「こういうことではないか」と思うことがあります。

シュタイナーが、障害児に関して、アストラル体(だったと思うが、原典を思い
出せず確認できません)が身体の中に入り込めなくて、身体の上に漂っている状
態だと言っています。アストラル体が身体に入り込めないと、身体の感覚を認知
できないはずです。

そこで、障害児に、さまざまな気持ちのよい感覚で取り囲むようにしてあげるの
は、意味があると思います。身体の感覚と調和できることが、アストラル体が身
体に入り込むことなのです。きれいな音、心地よいマッサージ、触り心地のよい
布、よい香り、美しい色彩、美しい詩、などなど。
そして、みんなでその子に共感的な意識を向けること。

じつは、これはみんな、子どもを安心させるのに役立つことばかりで、特に障害
児だからというものではありません。アストラル体うんぬんを持ち出す必要もあ
りません。
私たちが、もし、発達障碍児でもほっとすることができるような場を作ることが
できたならば、すごいことが起こります。私たちの子どもたちが、自発性に富み、
好奇心に富み、思いやり深くなっていくのです。

みなさまといっしょに、そのような道を開発できることを、切に願っております。

古山明男

学校教育とタイプが違う子供たち

古山です。

小学校の低学年で、学校教育とまったくタイプが違う、無理させようもない、ど
うにもならない、という子どもたちがいます。
こういう子どもたちは、教育を特別にあつらえてあげなければいけない子どもた
ちなのです。

シュタイナーが、こんなことを言っています。

仏陀からキリストへ」西川隆範編訳 p24

ある子どもを単に思考力に秀でているだけでなく、創作力豊かな芸術家になるよ
うな特別の才能のある人間に育て上げようとするなら、まず第一に、6歳か7歳の
時から、他の子どもたちが学校で学ぶような学科からできるだけ隔離するのです。
そして10歳か11歳まで、できるだけ学校教育から遠ざけて、子どもらしい遊びに
熱中させておくのです。

学校教育に抑圧されてしまう子どもの心的な力を、10歳ないし11歳まで学校教育
から遠ざけることによって保持しつづけますと、子どもは事物に対して、普通人
とは全く異なり、火の如き魂の力を以て接するようになります。そして、この子
どもの能力は特別生産的なものになるのです。ですから、子どもはできるだけ長
い間、子どもらしい環境の中に置く必要があります。

ある分野で生産的な業績を上げた人は誰でも長い間、無能であった時期を過ごし、
後になって「開悟」したのです。神々がそのような人物の幼年期を通常の学習か
ら隔離し、後になってそれらの知識を学べるようにしたのです。活発な子どもは
物語を易々と理解し、学校では何も学ぼうとしなくなります。
これは、いわゆる「シュタイナー学校」とはぜんぜん違う教育方法です。シュタ
イナー学校は7歳から教育を始めるのですが、こんな教育もあるということをシ
ュタイナーは言っています。

ジョン・ホルト

古山です

アメリカに、ジョン・ホルト(1923~1985)という人がいました。
「ホームスクール」という言葉を作った教育運動家です。

ホルトは、「よい」と言われる私立小学校の先生をしていました。そこで彼が見
たことは、教室の中で子どもたちがいかに愚かになるかでした。遊んでいるとき
には、物事がどうなっているかよく考え、工夫する子どもたちが、授業の中では、
あてずっぽうを繰り返したり、黙りこくって空想に耽ったりしているのです。

教室には「恐怖」が立ち込め、子どもたちはその状況を生き延びるために、さま
ざまな戦略を編み出している。それが、「答え出し屋」になることだったり、空
想に耽ったり、騒いでしまったりすることなのだ。ホルトはそう見抜きました。
子どもは「無能」と見なされれば、もうそれ以上追及されたり叱責されたりしな
くなる。そこで、自分は無能になるという戦略をとる子どもたちがたくさん現れ
る。

ホルトの「教室の戦略」(原題 How Childre Fail)という本には、ホルト自身
の体験による、子どもたちが学びから逃げ回る様子が見事に描き出されています。

そして、ホルトはこう言い出したのです。「これだったら、家で好きなことをさ
せているほうが、子どもは伸びる」そしてホームスクールを提唱しました。
それは大きな流れになりました。

いきる力

朝、目が覚めて、横になったまま、「きょうは、~に行って、~をして、あれと
あれに気をつけて....」に入り込みかける。

ああ、そうじゃなくて、いま、別なものを探しているんだ。
生きる力を探しているんだ。

身体からやってくる感覚を、なんであろうと感じる。布団の中の温かさ。手の感
覚。背中にちょっとかゆいところがある。そんなようなこと、なんであろうが、
そのままに。

物音に、耳をすます。遠くの自動車が走る音。風で、窓が小さくカタカタいう音。

感情のようなものが流れている。いまは、悲しみめいたものかな。身体の感覚と
感情は、別のものじゃない。いつも流れているこの流れ。何かがある。

身体を起こして、座る。そうすると、感じられることが、また変わってくる。
動きたくなったら、手を伸ばしたり、首を回したり。
私は、スケジュールの中に生きているんじゃない。まず、身体の中に生きている
んだ。

この、身体、感情、周囲に起こっていることの知覚、それプラス何かしたくなる
気持ち。
これが、子ども時代なんだ。
すべてのことを、全身全霊で受け止め、全身全霊で生き抜く。それが、自然に起
こること。それが子ども時代。

生きるエネルギーにたどりつくと、それは子ども時代には当たり前のものであっ
たことに気が付きます。すごく、シンプルな生き方なんです。

何が、それを壊したのか。
将来への心配。どう思われるかの心配。失う心配。
それらの心配と闘って創り出した、たくさんの結論、

自分を守る壁を作るために、知性を使ってしまった。
だから、自分の考えが、自分の牢獄。

自分が悪いんだけどね。

だけど、学校も悪いよ。生きるエネルギーと繋がるやりかたを教えてくれないで、
テストの成績がよければ、すべてよしなんだ。叱られないですむ方法とか、わか
ったふりをする方法とか、そんなことをしこたま教えてしまうんだ。おたがいに
ド突き合いをすることによってしか、仲良くなれない人間関係とかもね。

だから、大人になって人生問題に直面したとき、どうしていいかわからなくなっ
てしまう。手当たり次第の結論を、ミノムシみたいに身に着けて生きるしかなく
なってしまう。

そうやって失われたオレの青春...
成績をあげさせるための教育って、間違ってます。
生きることのすべてに、愛をしみこませることが教育です。
知識も役に立ちます。技能も役に立ちます。

でもそれを習得させるために、子どもを脅したり、恥をかかせたり、競争させた
り。宿題やら、テストやら、学校外の生活までコントロールしようとするなん
て....。

やだよ、そんなの。
学校なんて、ほんとうに必要なの?
と、子どものときは言えなかった。
だから、いま、言っています。

先生の戦略 認められることの飢餓状態

古山です

学校は、かなり無理なことをやろうとしている。だから、子どもたちに無理させ
るための、いろんな戦略が発達している。それが、大きな弊害をもたらしている。
そのように思っています。

現在の文科省指導要領に基づく体系は、教育学的な深い裏付けがありません。
「このくらいの年齢なら、このくらいのことを教えてもいいだろう」という経験
則だけで作られています。大学の先生や、世の中で成功した人たちの意見をたく
さん聞きます。でも、子どもと実際にかかわっている中から生まれてきているも
のではないのです。子どもはどのように育つのか、の研究が不足しています。

その地域に住んでいる同年齢の子ども法律の力で全員集め、教室に閉じ込め、達
成度を評定するというやり方は、かなり強引です。

だから、子どもがなかなか学んでくれない。そこで、学校も親も、子どもにいか
にやらせるかばかり研究しています。しかし学校のカリキュラムは疑われない。
何を何時間教えるということが法律で決まっているし、学校はお役所が運営して
いるところだからです。

子どもにいかにやらせるかの戦略の中で、学校で大規模に行われ、効果も大きい
ものがあります。それは、子どもを、認めてもらうことの飢餓状態におくことで
す。そして、子どもたちが、認めてもらいたい一心でなんでもするように仕向け
ることです。こういう戦略は、人間なら本能的にやれるものです。教育免許を持
っている人たちでもやります。

そうすると、子どもたちは賞罰に敏感になり、先生のいうことをよく聞くように
なります。

ところが、これが、劣等感、優越感、無気力、固定観念、嫉妬、いじめ、など、
あらゆる自己破壊的な心理や行動の温床になっているのです。教室で起こってい
ることを裏から見てごらんなさい。子どもたちが、どれほど退屈し、恐れ、自分
で考えなくなっているか。でも、先生がいなくなったとたんに、子どもたちの態
度がどれほど変わるか。

ホームスクールは、その逆から行きます。まず、子どもたちを無条件で認め、安
心させることに、力を注ぎます。その基盤ができると、すべてはたやすいのです。
人間は、自分が認められている、愛されている、と感じると、すごい力を出して
くるものなのです。

学校には長所がたくさんあります。でも、この「認められるためになんでもす
る」ように仕向けることで、人間発達のためのもっとも大事な基盤を自ら掘り崩
してしまっています。

家庭は、足りないものだらけです。でも、「安心が得られる」ということでは、
たいへん優れた場です。

子どもがよく認められていると、こんなことがよく起こるようになります。

子どもがなにかをシコシコとやっている。親も同じ部屋でなにかをしている。静
かな時間が流れ、まるで永遠がそこに現れたようになる。べつに言葉を交わすわ
けでもない、でもその時間と場は、お互いに共有している。

子どもと何かをやっているうちにノリノリになってしまい、「こうしたらどう
だ」「ああしたらどうだろう」といろんなことをやってみる。どちらがリードし
ているのかわからない状態。

以心伝心が多くなる。同じことを考えていて、口を開くと異口同音になっている。
いつのまにか同じ歌を口ずさんでいる。

「あれ、またやろう」でできていく、その家庭ごとの行事みたいなもの。

シュタイナー教育

古山です。

シュタイナー教育のことを、ごく簡単に紹介します。

はじめたのは、ルドルフ・シュタイナーというドイツの哲学者です。この人は、
正真正銘の超能力者でした。そして、自分の超能力で知ったことを、人間に役立
つ形にしようと、一生を使っています。その活動の範囲は、哲学、教育、農学、
医学、経済など、広い範囲にわたります。

シュタイナー教育の要点を、私なりに理解すると次のようなものです。

・人間は輪廻転生する魂である。

・その魂が、この地上に降り立ち、自らの使命を果たせるようにするには、教育
による援助が必要である。

・人間発達には7年周期がある。幼児期は、模倣することによって育つ。十分に
模倣できた子は、生きることに自信を持つ。歯が生え変わる時期までは、知的な
教育をすべきではない。

・7~13歳は、美しさ、正邪善悪、などの感情が育つ時期。知的なものをむき出
しにせず、芸術的なもので包んで伝える。

・14歳からの時期になると、知的なもので働きかけても、十分に吸収できる。道
徳的なものを言葉にして伝えてもよいのは、この時期から。
自発性が伸びる。この時期は、学校で教え込むことは最小限の量と時間にすべ
き。・

・人間が深く学べるのは、畏敬の念を持つとき。
シュタイナー教育は、学校教育として行われることを前提に組み立てられたの
で、家庭でそのままやろうとすると、「あれもできない、これもできない」とフ
ラストレーションをおこしがちです。
しかし、人間の発達に関するシュタイナーの洞察は、まことに深いものがあり
ます。シュタイナー教育では、「社会が~を必要としているから」ということは
一言も言いません。すべて「人間というのはこういうものだから、こうする」と
言います。
家庭教育に取り入れることのできる部分は多いです。